三月の佐賀駅前。春の足音は、風の端々にわずかに混じる程度で、日が落ちれば冬の居座りを感じさせる冷気が容赦なく肌を刺す。僕はいつものように、駅前のベンチに腰を下ろしていた。
僕の傍らには白杖(はくじょう)があるが、それはベンチの裏側、通行人からは死角になる場所にそっと置いてある。
あえてそうするのは、僕が「視覚障害者」というラベルを背負わずに、ただの「そこに座っている一人の男」として世界と対峙したいからだ。この小さな偽装のおかげで、僕が盲目に近いことに気づく人はまずいない。その匿名性が、僕にとっては心地よい「更地(さらち)」を提供してくれる。

その日のテーマは、家を出る前に自宅で振ったサイコロがすでに決めていた。 「家族について」
二〇二五年十二月、父が大動脈解離で緊急入院した際、僕はICUのベッドに横たわる彼に「祝いという名の呪(のろ)い」をかけた。あれから数ヶ月。父は見事な回復を遂げ、三月現在、元気に食事を摂り、自らの足で歩いている。死の淵を覗いた家族の緊張感は、今や穏やかな日常という地平に軟着陸していた。
しかし、そんな安堵の季節にこそ、サイコロは再び「家族」という重い問いを僕に投げてよこした。自分の考えをアテにしない。世界から降ってきた不条理な問いを、そのまま現場で引き受ける。それが僕の作法だ。
昼の論理:選ぶ性と、選ばれる性の脆さ
昼下がりのベンチには、おなじみの学生、Mさんがいた。彼は僕の目には見えない周囲の景色を、時折言葉にして投げてくれる。最近はすっかり顔馴染みになり、僕の思考を適度に揺さぶってくれる存在だ。
その日は、Mさんと「女の強さと男の弱さ」について、進化生物学的な観点を交えて語り合っていた。

「配偶子の大きさを考えれば、メス、つまり女性はそもそも『選ぶ側』なんだよね。その根っこには、選ばれるか否かに左右されない圧倒的な自己肯定感がある。一方でオスである男性は常に『代わりはいくらでもいる』という選ばれる側の恐怖を抱えている。だから男はいざというときに脆い。偉そうに振る舞わないと自分を保てないのは、その弱さの裏返しなんじゃないかな」
そんな、ある種の理屈で世界を切り取るような、心地よい時間を過ごしていた。
そんな中、一人の男性が興味深げに話しかけてきた。サイコロが選んだ「家族」というお題に対し、僕は僕なりの、一段ずつ階段を降りていくような論理を紡いだ。
「家族は、役割を脇に置いて、一人ひとりの人間として向き合うのが大事だと思うんです。父だから、母だから、息子だから。そうした関係性に関係なく、一人の人間同士として向き合うことが、本当の家族の在り方なんじゃないかと」
男性は「深いですね」と唸り、「なんだか泣きそうになります」と感極まった様子で去っていった。
その時の僕は、どこか確信していた。
役割というラベルさえ剥がし、論理的に向き合えば、家族という関係性はもっと純粋なものになれるはずだ、と。それは美しく、洗練された、いわば「昼の論理」だった。
夜の対話:怒声の裏側に耳を澄ます
夜八時。再びベンチに戻る。冷気は昼間よりも鋭利になり、二時間も座っていれば身体の芯まで冷え切ってしまう。そろそろ帰ろうかと思っていたその時だった。
「あれ? 帰るんですか? 22時15分の電車まで、話しましょうよ」
声をかけてきたのは、一人の少年だった。十三歳。まだ幼さの残る、けれどどこか乾いた響きを持つ声だった。彼と話しているうちに、ふと僕は、自分から「目が見えないんでね」と伝えた。
「お兄さん、目が見えないと、置き引きとか悪いやつからなんかされたりしないんですか?」
唐突な、けれど素朴な疑問だった。僕は、かつて酔っ払いのおじさんに
「お前、調子に乗ってんじゃねーぞ!」
と理不尽に怒鳴られたときの話をした。
「そういうの大変じゃないですか?」
と眉をひそめる少年に、僕はあの時感じた奇妙な感覚を伝えた。
「いや、よく聴いていると、そのおじさんの言葉は強くても、その裏側に強烈な『寂しさ』を感じたんだよね。ああ、この人は今、誰かと繋がりたくて、どうしようもなくて叫んでいるんだなって。だから、怒りよりも、もっとこの人と本気で向き合えたらよかったな、って思ったんだ」
その瞬間、少年の纏っていた空気の温度が変わったのを、僕は肌で感じた。
「お兄さん、いい人ですね……」
そうポツリとこぼすと、彼はまるで誰にも言えなかった重荷を下ろすかのように、自分自身の「家族」という名の泥沼を話し始めた。
十三歳にして、父親の会社を継ぐためにすでに働いていること。兄弟が少年院に入っていること。
そして、来月、母親が家を出ていってしまうかもしれないこと。
彼は淡々と話した。
「うちの母親めちゃくちゃなんですよ。不倫して東京に行くって言い出したり。」
その彼自身も
「自分は喧嘩も折れなくて、殺し合いみたいな感じでやってるんですけど……」
と漏らした。
同世代のヤンキーと呼ばれる仲間たちとの間でも、彼は常に命を削るような、文字通り殺し合いに近い衝突を繰り返しているようだった。
彼はフィジカルにおいて、圧倒的に強かった。外の世界の争い、殴り合い。そこでは決して心は折れない。自分を保つ術を知っている。
しかし、そんな彼が「家族」という言葉を口にしたときだけ、その強固な武装が剥がれ落ちる。
「家族の話になると、やっぱ、心折れそうっすよ」
昼間、僕が軽やかに語っていた「役割を脱ぎ捨てる」という論理が、少年の前ではあまりにも軽く、虚しく響いた。彼にとって家族とは、脱ぎ捨てられるような鎧(よろい)ではない。それは、切っても切れない因果(いんが)そのものだったのだ。
救わないという「信頼」
少年は、その過酷な因果を、十三歳の細い身体で懸命に引き受けようとしていた。
「自分がやらなきゃ、家族に裕福な暮らしをさせてやれないから」と、彼は言った。
「お兄さんは、これから何していきたいんですか?」
少年の問いに、僕は本気で自分の野望をぶつけた。
「お供え物で生きていくことですね。誰かの贈与(お供え物)だけで、生きていく。それが僕の目指す場所なんだ」
それは、家族を背負い込んでいる彼への、僕なりの最大のリスペクトだった。 僕は彼を「救われるべき弱者」として扱いたくなかった。同情という名の薄っぺらな慰めは、彼が命懸けで守ろうとしている自尊心を傷つけるだけだ。
僕は、彼にアドバイスもしないし、同情もしない。ただ、一人の男として、自分の本音を晒す。
「お前はどう生きたって大丈夫だ。どう死んだって大丈夫だ」
僕は彼を、自分と同じ不条理な世界を生き抜く、対等な表現者として信頼することを選んだ。
僕の「お供え物で生きる」という在り方は、役割から最も遠い場所にある。けれど、本気で生きている彼の前で、僕もまた本気で自分の在りたい姿を語る。そのとき、僕たちの間には「救う・救われる」を超えた、むき出しの命同士の火花が散ったように思う。

三月の冷気、握手の熱
「それじゃあ行きますね。握手しましょう」
22時15分の電車に乗るため、彼は立ち上がった。
差し出された彼の手を握った瞬間、僕は息を呑んだ。 ゴツゴツとした、驚くほど逞(たくま)しい、働く男の手だった。

ヤンキー同士の喧嘩で握り込んできたであろう拳の硬さと、現場で培われた手の熱さは、身体を芯まで冷やしていた三月の夜風を、一瞬で忘れさせるほどに強烈だった。
「自分がいるときは、お供えしますよ」
そう笑って、彼は母親へのお土産だというドーナツを抱えて、改札へと消えていった。
自分を捨てようとしている母親に、お土産を買って帰る。その矛盾。憎しみと愛と、切っても切れない因果。それこそが「家族」という逃れられない関係性の、本当の手触りなのだろう。
一人残されたベンチで、僕は思う。 家族とは、役割を脱ぎ捨てた先にある自由であると同時に、決して切り離すことのできない重い因果でもある。 父の回復という平和な日常も、少年の抱える泥沼のような日々も、すべては同じ「家族」という問いの断片なのだ。
ベンチの裏に置いてあった白杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。 夜の佐賀駅は静かだった。けれど、僕の心の内側には、あの少年の手から伝わった「本気」の余熱が、灯火のように残り続けていた。
あなたの傍にある「家族」という因果は、今、どんな手触りをしていますか。 たとえそれが痛みを伴うものであっても、その裏側に潜む「寂しさ」を聴き取ることができたなら。 僕たちの更地には、また新しい問いが芽吹くのかもしれません。
佐賀駅のベンチから、僕たちの旅は、また明日へと続いていく。
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