イソップ童話の「北風と太陽」をご存じでしょうか。
旅人の上着を脱がせようと、北風は容赦なく冷たい風を吹きつけます。しかし旅人は寒さに耐えようと、さらに上着を強く握りしめます。
一方、太陽は旅人を優しく照らし続けます。すると旅人は暑さを感じ、自ら上着を脱ぎます。
この童話は、「力ずくで人を動かそうとしても、人の心は動かない」という教訓として、長く語り継がれてきました。
私は、この話は子どもたちへの指導にも、そのまま当てはまるのではないかと思っています。
古賀道場では、子どもたちを指導するうえで「どうすれば子どもが自ら成長したいと思えるのか」「どうすれば空手を好きであり続けてくれるのか」を常に意識しています。
今回は、そんな古賀道場の指導に対する考え方も交えながら、昨今の子どもたちへの指導の在り方について、私なりに考えてみたいと思います。
いつものことながら、「また師範が何か言っているな。」くらいの気持ちで、肩の力を抜いて読んでいただけたら幸いです。
厳しい指導の必要性について考える
空手道の大会などへ足を運ぶと、今もなお、指導者が子どもたちを厳しく叱咤している光景を目にすることがあります。
試合が終わるたびに、選手が指導者のもとへ駆け寄り、正座をして話を聞く姿も決して珍しいものではありません。
傍から見れば、指導者がそうすることを求めているようにも映ります。しかし、実際には長年築かれた信頼関係の中で、ごく自然に行われていることなのかもしれません。その場面だけを切り取って、良し悪しを判断することはできないでしょう。
私自身が子どもの頃を振り返ると、30年、40年前、近所の少年野球チームでは、「ケツバット」と呼ばれる罰がごく当たり前のように行われていました。当時のスポーツ界では、「厳しさが子どもを強くする」「根性が人を育てる」という考え方が、ごく一般的だった時代です。
確かに、技術を磨き、精神力を養うためには、ある程度の厳しさは必要なのかもしれません。競技で高いレベルを目指す以上、楽しいことばかりではなく、苦しいことや壁を乗り越える経験も欠かせないでしょう。
しかし一方で、近年はスポーツハラスメント、いわゆる「スポハラ」という言葉を耳にする機会も増え、子どもたちへの指導の在り方が大きく見直されています。昔なら当たり前だった指導が、今では許されないケースも少なくありません。
では、本当に子どもたちをまっすぐ成長へ導く指導とは何なのでしょうか。
厳しく叱ることなのでしょうか。それとも、子ども自身が「頑張りたい」と思える環境をつくることなのでしょうか。
私は、その答えを考えるとき、いつも「北風と太陽」の物語を思い出します。

北風と太陽について考える
イソップ童話の「北風と太陽」を、子どもたちへの指導に置き換えて考えてみます。
厳しさによって子どもを動かそうとする指導を「北風」、子どもの主体性を尊重し、「楽しい」「もっとやってみたい」という気持ちを育てながら成長へ導く指導を「太陽」とします。
童話の中では、北風はどこか「悪者」のような存在として描かれています。しかし、指導という視点で考えたとき、私は必ずしもそうではないと感じています。
まず、「太陽」の指導は、子ども自身の気持ちを大切にしながら成長を促すため、どうしても時間が必要になります。子どもが自ら考え、自ら行動し、自ら努力するようになるまでには、焦らず見守る時間が欠かせません。
一方、「北風」の指導は、厳しさや緊張感によって子どもの行動を変えるため、短期間で技術の向上や規律を身につけさせやすい面があるように感じます。
例えば、高校の部活動のように、限られた期間の中でインターハイ出場や全国大会上位入賞といった明確な目標を掲げ、その達成を目指すのであれば、「北風」のような指導の方が、短期的には成果につながる可能性もあるでしょう。
一方で、「太陽」の指導は、子どもの「やりたい」「もっと上手になりたい」という気持ちを少しずつ育てていくため、一定期間の中で大きな成果を求めることには向かないかもしれません。
しかし、その代わりに、自ら考え、自ら挑戦し、競技を好きであり続ける心を育てることには、とても適した指導法ではないでしょうか。そして、それは競技人生だけではなく、その後の人生にもつながる「人としての成長」を支える土台になると私は考えています。
このように考えると、「北風」と「太陽」のどちらが絶対に正しい、どちらが間違っているとは、一概には言えません。
ただし、「北風」は子どもの尊厳を傷つけるような威圧や人格否定であってはなりません。厳しさと恐怖は、まったく別のものです。
同じように、「太陽」も、子どもをただ甘やかしたり、叱るべき場面で何も伝えなかったりすることではありません。
大切なのは、子どもの未来を見据え、その子にとって本当に必要な関わり方は何なのかを、指導者が常に考え続けることなのではないでしょうか。

北風も太陽も指導者としての高い意識が必要となる
ある意味、「北風」のような、一見すると厳しい指導であっても、子どもたちが目指す目標に真剣に向き合い、その成長を心から願うものであるならば、指導者と子どもたちの間には確かな絆が生まれるのでしょう。
信頼できる指導者からの厳しい言葉であれば、子どもは「怒られた」と受け止めるのではなく、「自分のために伝えてくれた」と感じることができます。そこには恐怖ではなく、信頼があるからです。
一方、「太陽」のような指導も、決して簡単なものではありません。
一見すると子どもたちに優しく、甘い指導のように見えるかもしれません。しかし実際には、子どもの成長を信じて待つ忍耐力と、ほんのわずかな変化も見逃さない観察力、そして、その子が一歩前へ踏み出せるように、適切なタイミングで刺激やきっかけを与える工夫が求められます。
つまり、ただ優しいだけでは「太陽」の指導にはならないのです。
イソップ童話のように考えるなら、北風は、ただ強い風を吹かせればよいわけではありません。太陽も、ただ温かく照らしていればよいわけではありません。
大切なのは、「この子にとって今、本当に必要な関わり方は何か」「この子の未来のために、今どんな言葉を掛けるべきなのか」を、指導者が常に考え続けることではないでしょうか。
古賀道場では、「人を育てる道場」であることを何よりも大切にしています。
大会で勝つことや技術を高めることももちろん大切です。しかし、それ以上に、子どもたちが空手を通して人として成長し、将来社会に出ても自ら考え、自ら行動できる人になってほしいと願っています。
だからこそ、私たちは「太陽」の指導を選んでいます。
傍から見れば、甘い指導に映ることもあるかもしれません。しかし、子どもたち一人ひとりの成長の歩幅を大切にしながら、焦らず、着実に成長していく姿を、私たちはこれまで何度も見てきました。
最後に願うことがあります。
世の中のスポーツクラブや道場の指導者が、「ただ厳しいだけの北風」でも、「ただ優しいだけの太陽」でもなく、子どもたち一人ひとりの未来を真剣に考え、その子にとって最善の関わり方を模索し続ける指導者であってほしいということです。
子どもたちの未来を変えるのは、技術だけではありません。
指導者が、どんな思いで子どもたちに向き合うか。その姿勢こそが、子どもたちの心を育て、その先の人生を照らしていくのだと、私は信じています。


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