日本の子ども達は、漏れなくその年の4月から小学校生活が始まります。
当たり前のように学校へ通い、当たり前のように勉強が始まる。
しかし多くの小学生は、「何のために勉強をするのか」を知らないままです。
本来、何かに取り組むときには必ず目的があり、その目的に向かって進んでいくものです。
ところが、日本の学校教育では、その「何のために」が明確に示されていない。
だからこそ、子ども達にとって勉強は“ただこなすもの”になってしまい、学ぶ意欲も育ちにくいのです。

目標があるからやるべきことが見えてくる
私が指導している古賀道場では、子ども達は「黒帯」という分かりやすい目標を持ちます。
さらに、その過程で受ける昇級審査も一つひとつが目標となり、課題をクリアするために必死に稽古に励むのです。
道場では、その「なりたいもの」をより具体的に描くように指導しています。
例えば「買い物に行く」という目的だけでは、どこに行って何を買うのかが不明確なため、道筋を立てることはできません。
しかし「近くのスーパーに卵を買いに行く」という目的にすれば、道順も所要時間も自然と明確になります。
同じように、子ども達にも「黒帯になる」という漠然とした目標ではなく、
「いつまでに何級になり、どの段位審査に何年生の時に挑戦するのか」といった具体的な計画を立てさせます。
そうすることで、自分が“今やらなければならないこと”がより明確に見えてくるのです。
教わる姿勢が抜けない子ども達
先述のとおり、日本の子ども達は、ごく当たり前のように学校へ行き、当たり前のように授業を受けます。
しかし、多くの場合「そもそも何のために学校へ行くのか」という目的意識がないため、勉強も“教えてもらうもの”としてしか捉えられていません。
空手指導の中では、「ただ教わるだけの姿勢」では上達は難しいと説きます。
自ら学ぼうとする姿勢、考える習慣、そしてそこから得られる閃きや気づきの中にこそ、上達のカギがあるのです。
空手修行では明確な目標があるため、たとえ子どもであっても自ら学ぼうという姿勢が育ちます。
考え、発想し、その積み重ねが確実な上達につながっていくのです。
――やはり、「目標があるからこそ」本当の学びが成立するのだと思います。
道筋の先にあるものを明確にする大事さ
そもそも、人は目的がなければ何もやりません。目的があるからこそ、その道を進もうとするのです。
ところが、日本の学校教育では、目的の提示よりも先に「道筋」を作ろうとします。
「将来幸せになるために」「将来困らないために」「将来の選択肢を増やすために」――。
そんな抽象的な言葉は聞かされても、子ども達にとっては自分事としての実感を持ちにくいのです。
もちろん、幼いころから知見を広げ、さまざまなことを学び吸収することは大切です。
しかし今の教育には、「それが何のために必要なのか」を子ども達自身が考える時間があまりにも少ないように思えてなりません。
教育の中で――「今学んでいることは、なぜ今必要なのか?」「この道筋を進んだ先に何が待っているのか?」
大人と子どもが一緒に、真剣に考える時間がもっとあれば。
子ども達は、自ら学ぶ力、考える力、発想する力、そして想像する力を、今よりもっと大きく育んでいけるはずです。
まとめ
人は、目標があるからこそ、そこに向かうエネルギーが湧き、自分の力で歩み始めることができます。
私は子ども達に、「目標=夢」だと伝えています。
小さな目標を一つずつ達成していくことで、大きな夢を叶える力が育まれていくのです。
教育の中で「歩んでいく先にどんな夢が待っているのか」を示すこと――
それは、もしかすると今の学校の役割ではないのかもしれません。
子ども達一人ひとりに夢を語り聞かせられるのは、やはりお父さんやお母さんの大切な役割なのだと思います。
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