
『といといといの森』へ、ようこそ。 細川亮です。
ここは、「答えのない問いを、一緒に歩く場所」。 今回も、僕の足元で拾った「問い」を、みなさんとともに味わっていきましょう。
今回の問いは、 「見えているって、本当に『世界』を知っていることなのかな?」 です。
問い① 今、なにを感じているか
先日、友人の高田洋平さんと佐賀の嬉野温泉に行ってきました。 日本三大美肌の湯。最高でした。
露天風呂に浸かりながら、僕が感じていたのは、なんとも言えない「お湯の境目」の感覚です。
ちょうど、ぬるめのお湯と、熱い源泉が交わるところに座っていたんですが、あたたかいお湯は上に溜まって、冷たい水が下の方に、ふわっと潜り込んでくるんですよね。 手の方では温もりを感じているのに、足の方にはひんやりとした水の流れがある。
その絶妙な境目を肌で感じながら、「あぁ、やっぱり冷たい水って下に行くんだなぁ」って。 なんだか小学校の理科の授業を思い出していました。ビーカーの中で水と油が分かれる実験みたいな、あの純粋な物理現象を、自分の身体で味わっている感じ。
そんな風に、僕が全身で「お湯と水の層」を楽しんでいた時、ふと隣にいる洋平さんに聞いてみたんです。
「ねぇ洋平さん、そこから今、どんな景色が見えてるの?」
洋平さんは、言語化のプロです。いつも鮮やかに世界を切り取る人。 でも、その時は違いました。
「え……?」
一瞬の沈黙。 あ、言葉に詰まってるな、と分かりました。 景色という、彼にとっての「ホームグラウンド」であるはずの場所で、彼が戸惑っている。
あとで彼が教えてくれました。 「当たり前のように感じている景色が、表現できない」 「見えていないのは、亮くんじゃなくて、僕のほうだったんじゃないか」
「まぁ、わからんよね(笑)」 僕は意地悪じゃなく、フラットにそう思いました。
目が見えていると、人は「わかった気」になっちゃうのかもしれません。 でも、足元を流れる冷たい水の感覚も、その場の空気の震えも。 「見る」ことに頼りすぎると、こぼれ落ちてしまう「世界」が確かにあるんです。
問い② なぜ、そう感じるのか
視覚情報が減ってから、明確に変わったことがあります。 「物欲」が、ガクンと減りました。
以前は、例えばお祭りなんかに行くと、屋台が並んでいるのを見るだけで「あれ食べたい、これ欲しい!」ってなってたんです。 でも最近気づいたんですが、見えなくなると、意外とそうでもないんですよね。
もちろん、ソースの匂いや焼きそばの香ばしい香りはします。「お腹減ったな」とは思う。 でも、「買おう!」という衝動まではいかないんです。 あぁ、僕たちは味や匂い以上に、「視覚」で食欲を刺激されてたんだな、と痛感しました。見えないと、そこまで欲しくならないんですよ。
じゃあ、今の僕は何にお金を使うのか。 それは、「自分の中から湧いてくる必要性」に対してです。
最近買ったもので言うと、「爪やすり」。 実は、視力が急激に落ちていく中で、どうしてもストレスを感じてしまって、ついつい爪を噛んでしまう癖が出てきたんです。 それがすごく嫌で。自分を大事にできていない感じがして。

だから、「爪をきれいに整えれば、噛みたくなくなるんじゃないか」と思ったんです。 誰かに見せるためじゃなく、自分の心を整えるために、良い爪やすりを探して買いました。
外からの刺激で「欲しいと思わされる」のではなく、自分の内側から「こうありたい」と願って選ぶ。 見えなくなるという「制約」が、僕の買い物を、より本質的なものに変えてくれた気がします。
問い③ だから、どうありたいか
こうして、「自分の内側の感覚」を大事にするようになってから、不思議と「他人との関わり方」も変わってきた気がします。
この旅の移動中、僕は一人では歩けないので、洋平さんの腕を掴ませてもらったり、逆に掴んでもらったりして歩きました。 側から見れば、「洋平さんが亮くんを助けている」という構図に見えるでしょう。
でも、腕から伝わってくる感覚は、少し違うんです。
僕は彼に支えられているけれど、同時に、彼に「歩くサポートをする」という『体験』と『役割』を提供しているとも言えるんじゃないか。 どちらかが一方的に失っているなんてことは、本来ないんです。
洋平さんは言いました。 「りょうくん、これ価値あるよ。『レンタル何も見えない人』やりなよ。俺が第1号になるから」
今まで僕は、「福祉」とか「ビジネス」とか、そういう社会的な文脈の中で「どうすれば自分が役に立つか」を考えてきました。 「ちゃんとしないと、必要とされないんじゃないか」って。
でも、違ったんです。 ただ、僕が僕であること。 見えない僕が、そのままそこにいること。 それだけで「楽しい」「価値がある」と言ってくれる人がいた。
だから、その言葉を、そのまま受け取ることにしました。 余計な鎧は脱いで、「あ、こんなんでいいんだ」って。
「レンタル何も見えない人」。
これから僕は、この言葉を旗印にして生きていこうと思います。

僕が何か高尚なことを教えるわけじゃありません。 ただ、隣にいる。
「見えているって、素敵なことなんだぜ?」 「でも、見えているせいで、見落としている豊かさもあるかもしれないぜ?」
そんなことを、温泉の冷たい水が下に行く感覚を味わうように、誰かと一緒に確かめ合っていく。
僕がいるから、あなたがいる。 あなたがいるから、僕がいる。
ともに生きる。 ただ、それだけの豊かさを、この森でも皆さんと分かち合っていけたら嬉しいです。
▼この記事を読んで、あなたに生まれた「問い」はありますか? よかったら、コメント欄で聞かせてください。 答えはなくても、大丈夫です。
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