『といといといの森』へ、ようこそ。
細川亮です。

突然ですが、この「といといといの森」って、なんだろう?と思いませんでしたか。
ここは、「答えのない問いを、一緒に歩く場所」です。
僕は「哲学対話」という活動をしています。
そこで大切にしているのが、「3つの問い」。
– 問い①:今、なにを感じているか
– 問い②:なぜ、そう感じるのか
– 問い③:だから、どうありたいか
この3つの問いを繰り返しながら、自分自身や世界との対話を深めていく。
そんな「思考の森」を、このコラムでも一緒に歩いていけたらと思っています。
今回、一緒に実演していく問いは、
「壁って、本当に邪魔なものなのだろうか?」
です。

問い① 今、なにを感じているか
皆さん、「壁」ってありがたいなぁ、と感じたことはありますか?
人生で「壁」って言うと、乗り越えるものとか、立ちふさがるものとか。
あんまり良い例えでは使われないですよね。
でも、今の僕にとって「壁」は、とてもありがたい存在です。
というのも、僕の視野狭窄は進行が早くて。
2ヶ月前はまだ何気なく歩けていた道が、今では点字ブロックなしでは絶対に無理だ、と思えるぐらいの変化が起きています。
でも、これはセンチメンタルな話がしたいわけじゃないんです。
この「変化」の真っ最中だからこそ、本当に面白いことに気づけてきました。
それが「壁」です。

普段、皆さんは「壁」を意識していますか?
僕は、見えにくくなって初めて、そのありがたみが分かりました。
だって、道を歩くときに「端」を教えてくれるから。
「ここまでが道である」と教えてくれる、大切なガイドだからです。
問い② なぜ、そう感じるのか
なぜ、これまで意識すらしなかった「壁」が、急に「ありがたいガイド」として立ち上がってきたのか。
それはきっと、「制約があるから」なんだと思います。
ひとは「自由になれば好きなようにできる」と思いがちですが、僕はむしろ逆じゃないかと感じています。
「見えなくなる」という制約が、むしろ僕の「集中」を産んで、物事への新しい気づきを促してくれている。
もっと平易に言うと、僕の変化は「ゆるやかじゃないからわかりやすい」んです。
僕たちは誰でも、日々、少しずつ「老化」という変化をしています。
でも、その変化があまりに「ゆっくり」だから、昨日と同じ今日が続いているような「幻想」の中で、つい「ちゃんとしなきゃ」と頑張ってしまう。
僕の場合は、その変化が「めっちゃ早い」。
「あれ?ついこのあいだまで気にしなくてよかったものが、めっちゃ重要になってきたぞ?」
という現実に、強制的に向き合わされる。
だから、「いつも同じ日なんてない」という”真実”から、目をそらすことができないんです。
—
この「制約が気づきを促す」というのは、なにも「壁」のような物理的なものに限りません。
人とのコミュニケーションでも、まったく同じことが起きています。
以前の僕は、「どう思ってるのかな?」と、人の顔色を伺いすぎていました。
笑顔じゃないと、何かネガティブな状態なのかもしれない。
それは今思えば、「相手が楽しんでないとだめだ」「役に立たないと」という、僕自身の『不安』や『憶測』だったんです。
でも、相手はただ食あたりでお腹が痛いだけかもしれないし、寝不足なだけかもしれない。
そんな背景、わかりっこないですよね。
今は、見えないもんは見えないし、わからないものはわからない。
その結果、何が起きたか。
僕は「言葉」や「音」そのものに、深く集中するようになりました。

「顔色を伺う」とは、言い得て妙だなと思います。
人間は、顔から相手の感情をかなり「情緒的に憶測」している。
その「憶測」というノイズから解放された今、僕は相手の「言葉」そのものにある、「あれ?」という小さな違和感に、ずっと気づきやすくなったんです。
問い③ だから、どうありたいか

これまで僕は、心のどこかで「できる自分だから社会に必要とされている」と思って生きてきました。
だから、視覚障害になって「できないこと」が増えると、「もう必要とされなくなるんじゃないか」と怖かったんです。
しかし、実態は違っていました。
「哲学対話」や「100人対話」という活動。
これを始めたきっかけは、「ただ、僕が外に出て人と話したいんだ」というシンプルな気持ちでした。
すると、「話そうや」とたくさんの人が応えてくれたんです。
去年(2024年)の10月、全国障害者スポーツ大会の100mを走ったときもそうでした。
僕が走ったのは、なにも「役に立つ」からじゃない。
ただ、「僕が走りたいから」走っただけ。

それなのに、10何人もの仲間が、わざわざ応援しに来てくれたんです。
その時、気づきました。
「なんだ。僕は『そのまんま』でいることを、もう世界は望んでくれていたんだな」と。
「自分がただ一生懸命生きている」。
ただそれだけで、応援してくれる人たちがいるんだ、という事実に。
—
ここで、ふと思ったんです。
なんだ。「ちゃんとしないと必要とされないのでは?」
それって、もしかして「幻想」だったのかな?
もちろん、変化の不安がゼロなわけじゃない。
でも、それ以上に僕は、「日々の変化に気づける自分」で在りたいな、と思うようになりました。
昨日と今日の「壁」の見え方の違い。
昨日と今日の「言葉」の聞こえ方の違い。
そういう小さなことに気づいて、面白がっていけるのって、なんか「いい感じ」だから。
そう。
「ちゃんと」じゃなくていい。
僕はこの森で、皆さんと一緒に「いい感じ」で生きていきたいと思っています。
—
▼「といといといの森」って、どんな場所?
この森のコンセプトや「3つの問い」について、もっと知りたい方は[といといといの森]をご覧ください。
▼この記事を読んで、あなたに生まれた「問い」はありますか?
よかったら、コメント欄で聞かせてください。
答えはなくても、大丈夫です。
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